anyadraの日常

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将棋なんてくだらないんだよ(後編)

この過激なタイトルの意味は前編を参照してもらうことにして、後編に入ろうと思ったが、前編から少し時間が空いたので前編を軽く振り返る。

 

前編では将棋がくだらない客観的な理由を書いた。こう見えても意外と慎重というか弱気というかそういう面があるので、前編の記事を公開するにあたってはもしかして炎上するんじゃないかとか色々な思いがよぎり、決断に時間を要してしまった。

 

しかし結果はいつも通りわずかに注目されただけだったのですごく安心したし、やはり人間、他者のことを見ているようで見ていないし、見ていないようで見ているというのは真理なんだなあと再確認した。

 

これからも自信を持って(炎上を恐れず)自分らしい文を書いていきたいし、読んだ人に少しでも何かを伝えられれば物書き冥利に尽きる。

 

前編の振り返りはこの辺りにして、いよいよ後編の本題、将棋がくだらない個人的な理由について書いていく。

 

まあそもそもお前誰だよって思われそうなので軽く自己紹介(?)しておくと、今となっては将棋より麻雀の方が強い疑惑が出るくらいには落ちぶれた残念な将棋指し(と言えるかも怪しい)だが、これでも全盛期(とは本当は言いたくないが)には当時の中学生としてはかなりすごい人(自分で言うな)だった。

 

某全国大会(もちろん一般)では決勝進出したし、その年は他に一般全国ベスト8に2回入ったし某中学生大会では全国優勝した。

 

まあこの程度の活躍ではしばらくして藤井聡太という恐ろしい中学生が現れたのに比べれば明らかに月とすっぽんだし、当時は自分こそ奨励会には行かなかったが知り合いもたくさん奨励会に入っていて(今も奨励会にいる者、すでにプロになっている者もいる)その彼らに負けないようにと思って将棋をやっており、当時からの第一目標はまず全国優勝級の活躍でプロ棋戦に出て、プロに勝つことで、それが出来ればプロになれる可能性が開けると考えていた(当時プロ編入試験が話題になっていたこともあった)ので自分としてはまだ道半ばだ、全国であと1勝をするには王道をもっと究めねばと思っていた。

 

しかし残念ながらその後も一応3年続けて学生タイトル獲ったりはしたが、正直全盛期も含めて“地味”な活躍しか出来ていないまま今日に至ってしまっている。プロ棋戦には一度たりとも出られていない。

 

しかし、自分は残念ながら地味だったとはいえ、将棋が世間でかなり注目されている現代に全盛期当時の自分が現れたら結構メディアとかにも取り上げられているのは間違いないと確信している。

 

なかなか勝てなかった原因は単純な意味での慢心、そうではないだろう、しかし深い意味では慢心だったのかもしれない。つまり、油断せずにやっていけばそのうち結果が出るだろうという考えが甘かったのかもしれない。とはいえこれは甘い考えだということを、若い者が強いとされる将棋界隈でいよいよ勝てるようになってきた中学生が理解していなければいけなかったというのは、あまりに酷な話だと思うが…

 

自分の慢心がどうだったかはさておき、技術的には5〜6年前から人間より強い将棋ソフトが強大な影響力を持つようになった。自分はそれからずっとどこかソフトに将棋を狂わされてきているところがあるせいで勝てずに苦しんできているのかもしれない。全盛期がこのソフトの台頭の直前、まだ将棋界隈が地味で、自分が超オカルトな将棋で勝っていた時代に訪れてしまったというのは我ながらお前は本当に持ってない奴だなあと言わざるを得ないのかもしれない…

 

持っていないというのはそれだけではない。18歳、将棋指しとしてとても大事な時期にまさかの浪人(後で振り返れば明らかに実力不足で自分が悪い)をした。大会にもほぼ出なかった、いや出られなかったその一年は本当に地獄だった、藤井聡太がどんどん勝っている間に、自分は何をやっているんだ、俺はもう終わりだ…とかいろいろな思いがよぎりながら、浪人したのにもし受からなかったら本当に終わりだと思っていたのでなんとか最低限は勉強できたし、結果なんとか合格できた。我ながらよく耐えたと思う。

 

そして大学1年目は思ったように勝てないところもあったが、全国大会でも少しは活躍したので来年はこれを弾みにさらに上を目指していくか、そう思っていた矢先、トドメを刺しに来るかのように持っていない案件が訪れる…

 

あのウイルスだ。名前を出すことすら許されない、あいつだ。大会が消えた、もういくら強くなったところで自分がプロで活躍する未来は事実上消滅したなとここで初めて思った。その間にも藤井聡太はどんどん勝つし、どんどん若くて強い人間が現れるのだから…

 

小学生にして、他の人間にはない圧倒的な武器を得るんだ、自分はこれで生活できるようになるんだ、その思いで始め、ずっと続けてきた将棋を指す価値はそこでなくなった。そして麻雀打ちに徐々に生まれ変わっていって、今となっては自分は将棋指しなのか麻雀打ちなのかいよいよ分からなくなるレベルまでは来た、まだ将棋の方が麻雀よりは強いと自分では思っているが…

 

長い人生という意味ではまだこれからの年齢なのかもしれないし、実際将来の可能性がいろいろ広がっているなとは思っている。しかし結局将棋でこんなことになるなら、こんなに真剣に向き合う必要はなかったし、将棋に捧げた時間の何割かで数学とか競プロとか他にもいろいろあるかもしれんがそういうのをやってる方がどう考えても人生の助けになったやろ、将棋なんてくだらないんだよ。

 

自分の人生を切り開く意味で将棋を指す価値は1年前にもう消えたとはいえ、幸いにもこんな落ちぶれた自分でも必要としてくれている人達がまだ将棋界隈には残っているし、純粋に競技として楽しむだけなら将棋は良いものだとは今でも思っている。また新たに将棋界隈に興味を持ってくれた人に自分の切り口から将棋の良さを伝えることもできるはずだ。そのような思いで将棋の引退まではせず、いよいよ大会がやって来る、楽しみだなと思っていたその矢先だった。

 

大会中止の悲報が届いた。でもこれまでとは違い、それほど大きな痛みを感じなかった。将棋なんてくだらないんだよ、そう思っていたからなのかもしれない。

 

自分でも想像を絶するような長さになってしまったが、幸いにも競技としての将棋を純粋に楽しむ機会が完全になくなったわけではないし、なんだかんだ自分を育ててくれた将棋界隈に微力ながら貢献できればとの思いもあるので、今後どうなっていくかは分からないが、将棋は引退せずに続けることを約束して、締めくくりとする。

 

最後まで読んでくれた人全員に感謝し、ここで一旦筆を置く。