未知なる旅程(みち)を求めて(後編)
上手い書き出しが思いつかなかったので最近で一番嬉しかったことを書いておくと、それはプロ野球開幕戦(どのカードかは想像にお任せします)のチケットを入手したことである。そもそも球場に行くこと自体が6年ぶりになるし、ファンクラブ会員とかでもないのでチケットの入手は厳しいかなと思っていたところから一般販売の秒単位の勝負を制してのチケット獲得だったので喜びも一入、学生最後の楽しいイベントとなること間違いなしである。
さて、前回で本題が終わり本シリーズの趣旨は達成されたと言っても過言ではなく、ここからはエピローグと言っても良い。
そして長く続いた本シリーズもついに今回が最終回となる。それでは、予告通り私自身の現在地とこれからについて書いていこう。
まず私自身の現在地について。私は、このシリーズに書いてきたようにこれまでの人生で将棋を通して多くのものを手にしてきた。しかしその反面、同時に多くのものを失った、というより同年代の多くの人間が普通に得られるものを入手し損ねている、これが私の現状ではないだろうか。
最近の私は将棋以外でも新しいことや今まで目を背けてきたことにも向き合おう、とはしているつもりだが、いかんせん将棋に捧げてきた時間が重すぎるので大きく遅れをとっていることに変わりはない。それが悪いことだとはあまり思っていないが、社会を前にこのことを事実として認識しておくべきかなというところだ。
特に、私自身はせいぜい将棋界隈で胸を張れる程度の人間性しか持ち合わせていないということはしっかり自覚しておくべきだろう。自戒の意味を込めてはっきり言うと、前回も書いたように将棋界隈は色々な意味で人間性の要求レベルが一般社会よりも低い。私はそんな世界に長くいたから、あたかも自分が優れた人間であるかのように勘違いしかねない。一般的には大した人間ではないのに。
具体的に自分のどこが課題かについては自分の胸にしまっておくことにするが、その課題の多くは先に書いたような将棋に捧げた時間に失ったものに起因している可能性があるとだけ言及しておく。
しかし、このような状況を招いた自分の過去を悔いている訳ではない。将棋の世界で生きていくならあまり必要なくても将棋の外の世界で生きていく以上は向き合うべきことがたくさんあるのは必然であるから。
さて、このような現在地にいることを踏まえた上で今後について。まず、名残惜しいが今月をもって長い学生生活を送った地である京都を一旦離れることになる。新天地についてここではあまり詳しく書かないが、地元に帰るのではないとだけお伝えしておく。
もし私を見かけた際には声をかけていただければ嬉しく思うし、もちろん自分で主体的に動くことも必要だが最終的にはある意味運なので、新天地で良い出会いに恵まれることを自分自身祈るばかりだ。
そしてどういったスタンスで今後の人生を戦っていくかだが、将棋ですら若さで勝負しようなどという浅はかな考えは5年前には完全に捨てているし、残念ながら私ももう若いとは言えないから将棋以外の世界でも私が若さで勝負するのは厳しいだろう。
やはり、将棋もそれ以外も、つまり人生そのものを細々とオールドスターを目指して頑張っていくのが自分の生きる道である。答えが出るのが何年後かは分からないが、もう過去を思い起こして下を向くのはやめだ。将来を見据えた上で現在に真剣に向き合うのみだ。
ここまで散々将棋の外の世界で生きるとかいかにも今後将棋から完全に離れるような表現を使ってしまったが、決してそのようなことはないと強調しておきたい。現状は未来ある若者に対して低いようで意外に高い壁として立ちはだかり、将棋の厳しさをわからせる程度までならできるポジションと自認しているが、このポジションを維持できているうちはさらに先も目指せると思っているので少なくとも完全に若者の養分にされてしまったと感じるまでは細々と将棋を継続していきたいと思っている。
将棋界隈に対しては厳しいことも散々書いてきたが、将棋が自分にとっていざやれば意外に勝てて楽しい趣味であることは間違いないので。
最後に、ここまで読んでくださった読者の皆さんには将棋を指す方もそうでない方もいるかと思うが、読者の皆さんのおかげで無事にこのシリーズを書き終えることができたといっても過言ではない。この場をお借りして感謝申し上げたい。内容は私が思っていることを好き勝手書いていただけでいろいろと拙い部分もあったかもしれないが、私の書いたことがもし微力ながら何かに貢献できたとしたらとても嬉しいことだと思っている。
今後も媒体の変更や活動頻度の変化等はあるかもしれないがブログの執筆及びその宣伝活動自体は継続するつもりなので、引き続きよろしくお願いします。
それではここで筆を置いて、未知なる旅程を求める旅の新たなステージへ進むこととする。
未知なる旅程(みち)を求めて(中編-2)
前回の最後に触れたように、先日まで長旅に出ていたため久しぶりの更新になる。旅の詳細についてはこちらのブログではなく公式ブログに最後に書き残すネタとするつもりなので、こちらのシリーズが終わってからになるだろうがそちらも楽しみにしていただければと思う。
予告通り今回は引退後から今日に至るまでを振り返るが、一才の忖度なく私の思うところを綴っていくので一部の内容が過激になるであろうと最初に断っておく。それでは本題に入ろう。
引退後の私は今までの自分を無意識に縛っていたものから解放され、これまでと異なる系統の将棋を指すようになった。同時に後進の育成に本格的に注力する新しいポジションに就いて、部への貢献、これまでお世話になった分の恩返し、これらの実現を考えるようになった。
最初はかなり年の離れた後輩とも接するのにどういう距離感でいけば良いのか手探りな部分があって、正直どうだったのかなと思うところはある。本心を聞いた訳ではないが、もし何かしら嫌な思いをさせていたとしたら申し訳なく思うし、この場を借りてお詫びしたい。最終的には、いわゆる“老害”にならないよう意識的に距離を近づけないようにした。助言を求められたら意見することはあれど、基本的に見守っているだけで自分から口出しすることはなく、かなり優しくするようにしていた。大会観戦に行っても置物というかお守りというか、その程度の存在感になるように意識していた。
しかし、私は誰に対しても盤上だけは厳しく、一切の妥協を許さないと決めていた。真の優しさとは、甘やかすことではない。容赦なく盤上でボコボコにし、盤上の事象に関してだけはかなり厳しいことを遠慮なく言った。それが将棋と相手への敬意、そして真の優しさであると信じて。
ここで、どんなに厳しいことを言っても、決して人格否定のようなことは言わなかったということは強調しておきたい。自分は大した人間ではないし、将棋がそこまで強い訳でもないから偉そうにできる筋合いは全くない。
結局、人生においては人間性が一番なんですよ。将棋の実力なんて本当にどうでも良い。
私はこのことを若い人達に伝えていきたい、せっかく将棋に熱心に取り組むのならそれを通して人間的に成長してくれたら嬉しい、そのような思いもあって将棋の指導をさせてもらった。
もちろん、将棋で食っていこうと思うなら実力がないと話にならないし、強くなるためには人間性など言ってられるか、というのはごもっともだ。実際、私もネット将棋を指したりしている時はここに書くのも憚られるような罵詈雑言を連発している自覚はあるし、このように闘争心をむき出しにするような姿勢も勝つためにとても重要である。
しかし、人間性なんて関係ない、実力が全てだというならせめて私の実力くらいは軽く超えてもらいたいものだと思っている。私自身、高いようで低い壁だが低いようで高い壁であるという自負はあるので。
なぜこのような考えに至ったのか、それは現役時代に遡る。前回軽く触れたように、現役デビュー年に平成の学生将棋を戦った私にはあまりライバル大学の選手と仲良くする感覚はなくて、ピリピリした雰囲気でバチバチにぶつかり合わねばならないものだと学生将棋を捉えていた。まあこれに関しては私及びチームメイトに良くも悪くも閉鎖的な面があっただけなのかもしれないから平成の時代が実際どうだったのかについては議論の余地があるところだと思うが、とにかく勝つしかない、勝つことが全てだ、私自身そのように考えていた側面があるのは否めない。
しかし2年目と3年目に過渡期の学生将棋を経験し、将棋が強くなるだけでは何の意味もない上に自分は無力であることを痛感した。実力があってもそれを活かす機会に恵まれなければ意味はないし、そしてそのような機会が実現されているのは決して自分の力ではないのだ。困難な時代の中で凡庸な1選手でしかない私にできることは何だろうか?そんなことを自問自答する日々であった。
最終的には、強くなって一生懸命良い将棋を指す。自分にはこれしかできないし、これこそが携わる方々に最大の敬意を表すことではないか。このような結論に達し、困難な時代を乗り越えた先にあった令和の学生将棋最初の1年、言い換えると私の現役最後の1年、将棋を指したのは決して自分のためだけではなかった。自分という人間が現在の誰かのため、そして後世のために何を残せるか、そんなことも強く意識するようになっていた。
その結果として、先に述べたように人間性を重んじるようになったのである。もちろん自分も完璧であることは決してないが、日々人間性を磨いていくことが重要であるしこれからも継続していかねばならないと思っている。
また老害みたいなことを言ってしまうかもしれないが、今結果が出ない、自分は将棋が弱いと自覚している、そんなことから苦しさを感じている人もいるかもしれないが、私の感覚では、その状態はとても恵まれていますね。何度負けてもまた次に向かって立ち上がれば良い、いくらでも目標設定ができる、そのような状況を決して当たり前だと思ってはいけない。強くなる意義を失う、目標物がなくなる、それこそが本当に辛く苦しいことなので。
この2年間令和の時代を傍観している中で私なりに一番平成の時代との変化を感じたのは、ライバル大学の選手とも普段から親交が深いというケースが多いからか、大会期間中ですらバチバチした雰囲気をあまり感じなかったところである。もちろん対局中は全員真剣に闘志を全面に出して戦っているから決して馴れ合いという訳ではないのだが。
現役時代はかなり意識的にバチバチした雰囲気を出すようにしていた私としてはこの令和的な時代の変化を好意的に捉えていて、引退後は時代に合わせて他大学の方とも研究会等いろいろな機会に交流させてもらったので、かなり恵まれていた。正直年齢が離れすぎて自分など全く相手にされないというのが普通かなと思うので。これからも普段は緩く楽しい雰囲気でも良いが、戦いの場だけは真剣に勝ちに行くという気持ちを忘れずにやってもらいたいなと思う。
私自身も引退後にさらに将棋を進歩させ、現役時代から全く結果を出せていなかった一般大会でも学生最終年についにそれなりの結果を出せたのは、人間性が優れて将棋も強い若い人達がたくさんいることを肌で感じられたのが一番大きかったと思う。
ここまで抽象的な話ばかりになったので、以下でもう少し具体的にこの2年間を振り返っておく。
引退後はスタイルを変えて一般大会で結果を出そうと思ったが、最初の1年は全くダメだった。しかも後輩達も私が引退した中一生懸命戦っていたと思うが、全国大会出場を久しぶりに逃すなど厳しい結果に終わるところを目の当たりにして、自分は一切戦っていないのに現役時代に感じたことがないほど重苦しい感情を抱いたりもした。
しかし秋から冬にかけて巷に溢れる研究を眺めていたのをきっかけにして自分の中の定跡の再整備を始めた。これは序盤をあまり細かく定跡化せず巷の定跡を外して力勝負にしてそこから勝負、としか考えていなかった自分にとっては画期的で楽しい体験で、後輩の指導にも応用できる理論を再構築することにもつながった。
そして春は就活もそっちのけで定跡のアップデートをする日々だったが、今考えると気が狂っている。正直就活は将棋の実力と人間性、どちらも単体ではそこまで大したことなくても2つの積で考えればそこそこ勝負できるというところをありのままにアピールしていただけだったが、幸いにもそこを評価してもらえて内定に繋がった。これに関しては人事の方の見る目が決して間違いではなかったと証明できるよう自分なりにできることをやっていくのが入社後の自分のあるべき姿かなと思う。
そして夏以降は昨年の悔しい思いを乗り越えて飛躍する後輩達の姿をただ見守っているだけだった。自分は正直何もしていないに等しいが、幸運の置物程度には役に立っていたのだとしたら嬉しいことだ。自分自身は修論にも追われるようになり大会が一通り終わった秋以降再びあまり将棋をやらなくなったが、かつてのライバル大学の選手達が私と将棋を指したいと部室にわざわざ遠くから来てくれるようなこともあった。
彼らの成長を実感して嬉しく思うと同時に、将棋を再開してそれなりの結果のその先を目指すのであれば自分も彼らに負けないようさらに今の定跡を進化させていかねばならないと感じた。
そして今、卒業を決めて学生最後に今の学生のトップと真剣に勝負してみたいという気持ちがある。学生最後の大会で老害優勝を目指すが、若手強豪に気持ち良くボコボコにされて引導を渡されるも良し、意外に自分が強くて勝ってしまうも良しという気楽な気持ちでここに宣戦布告しておこう。
執筆モチベの低迷が原因で公開がかなり遅くなってしまい申し訳ないが、今回で中編は終了である。次回は後編であり、同時に最終回となる見込みだ。私自身の現在地とこれからについて、今考えているところを書き残すつもりであると予告して筆を置く。
未知なる旅程(みち)を求めて(中編-1)
前回で3記事、約12000字にわたる前編がようやく終わり、今回から中編である。いよいよ本シリーズのテーマである学生生活の振り返りに入っていく。
正直前編の大半は私自身が過去を振り返り自己満足に陥っているだけだったので、赤の他人である読者の皆さんにとっては非常に退屈な内容だったかもしれない。しかし、人生に置いて重要なのは過去を受け入れた上で現実を正しく認識して未来に進むことである。執筆を通して決して決別することのできない過去の自分と向き合うことができたので、私自身にとっては非常に大切な時間だった。ここまで根気強く待ってくれた読者への感謝の意を表して本題に入ろう。
さて、今回は予告通り現役時代(学部生時代)についていろいろ書いていくが、当時の私の思考については以下のリンクに大量の記事が書いてあるので興味があれば是非。
http://ks2007.blog93.fc2.com/blog-category-60.html
ここでは、当時の記事を参照しつつ情報戦を仕掛けたい等の理由により当時の記事にあえて書かなかったことや時効だから今なら書いても良いかなと思ったことを中心に書いていきたい。
さていきなりだが、学生将棋で無双するのだと意気込んだ私が現役生活4年間で残した成績は結局どの程度のものだったのだろうか?
せっかくの機会なので、以下に部内の団体戦メンバー選考会、全国大会につながる地区大会、全国大会について私個人の勝敗だけ順に全てまとめておく。なお部内では選考会とは別にリーグ戦があって、そちらではずっとA級(最上位リーグ)で指し続けたのだが、その成績については後で紹介する。
1年目
春地区個人:4-1(ベスト16)
部内メンバー選考会:6-0
春地区団体:6-1
夏全国団体:6-3
(新人戦優勝)
秋地区個人:4-1(3位で冬全国進出)
部内メンバー選考会:6-0
秋地区団体:5-0
冬全国個人:4-2(9位)
冬全国団体:6-3
2年目
秋地区個人:1-1(ベスト8)
部内メンバー選考会:5-0
秋地区団体:4-2
冬全国団体:4-3
3年目
春地区個人:5-1(3位だが全国大会なしで辞退者が多く参考記録)
秋地区個人:4-1(3位だが代表枠数を2枠に減らされていたため全国進出ならず)
部内メンバー選考会:6-0
秋地区団体:5-0
冬全国団体:5-3
4年目
(最強戦優勝)
春地区個人:0-1(ベスト32)
部内メンバー選考会:6-0
春地区団体:3-1
(西日本団体優勝)
夏全国団体:7-2
秋地区個人:6-1(2位で冬全国進出)
部内メンバー選考会:6-0
秋地区団体:6-0
冬全国個人:3-2(4位)
冬全国団体:7-2
見ての通り、明らかに内弁慶が過ぎる。厳しい言い方をすれば、どうでも良いところでよく勝って肝心なところだけよく負けたなあという印象だ。
部内メンバー選考会通算35-0とここだけ切り取るとあの藤井聡太の連勝記録すらも超えているのだが、決して周りが弱かったのではなくただ上振れただけである。内容的には5~6敗はしていたし、実力的にも30-5くらいが妥当だったと思う。正直途中からはどんな成績だろうとメンバーには入れるところを自分の調整をしつつ他のメンバーを鍛えるという名目で参加していたのだが、今考えるとメンバー選考という観点ではゲームバランスを崩壊させているだけだったので自己満足以外に何ももたらしていない気もする。
ちなみに部内のリーグ戦通算成績は54-5(初回2位で2回目以降13連覇中のまま引退)なので、やはり普段からよく指しているある程度固定されたメンツと戦うと私の持ち味である高度な人読み(団体戦でよく見る戦型チェックレベルの話ではなく、実際に盤を挟まないと分からない相手の将棋の質の理解や目の前の局面に対する思考の推測)が最大限発揮でき、実力以上の結果になっていたのだろう。補足しておくと選考会とリーグ戦を兼ねて指した将棋もあるので純粋な意味で2つの成績を足して部内戦の成績とはできないのだが、いずれにせよ勝ち過ぎというかこの成績が出せるなら公式戦でもっと勝っていないといけない。
さて部内戦のことはもう忘れて公式戦の結果に目を向けようと思うが、もう読者の皆さんは上の成績の中の違和感にお気づきだろう。そう、2年目と3年目の成績が勝った負けた以前の問題でスカスカ過ぎる。これは私の記憶から名前が抹消されたあるウイルスのせいで大会自体が消えてしまったのが原因である。
私の感覚では、1年目は平成の学生将棋を、2年目と3年目は過渡期の学生将棋を、4年目は令和の学生将棋を戦ったと思っている。ちょうど2つの時代にまたがって将棋を指せたのは実質私の代だけなので、そういう意味では恵まれていたのかもしれない。具体的に時代の変化でどういうところが変わったと感じているかについては、生き字引になったつもりでまた次回以降の記事で書くことにする。
まず個人戦についてだが、春(夏)全国個人出場0回に対して冬全国個人出場2回があまりにもおかしい。(出場枠数が大差で春の方が多いため)
この原因は明白で、一般的に選手として全盛期を迎えやすい2年目と3年目に春全国が存在しなかったことである。後に詳しく書くが、さあ今から全盛期を迎えるぞというタイミングで出鼻を挫かれてしまったのが激痛であり、成績低迷の最大の要因となった。正直普通に大会があればあと1回くらいは代表にはなれていたと思う。
以上しょうもない言い訳をしたが、最後にせっかくベスト4に残って優勝と入賞の絶好機がやってきたのに芸術的な連敗を喫して入賞0に終わったのは完全なる自滅であり、この4年間を象徴している。
まあ個人戦についてはこの程度にして、団体戦の話をしようと思う。まず地区大会は団体として全国大会に出場することだけが目的なので個人の成績は割とどうでも良いが、2年目だけは本当に酷かった。私がチームとして勝てば全国大会出場が決まる大一番に連敗して、しかもその内容が誰が指しても勝てそうな局面からこの世の終わりみたいな酷い手を連発して負けるというものだった。
幸いチームメイトに救われた訳だが、もしここで自分の負けが原因でチームが負けていたら今頃将棋を完全に辞めて雀荘に入り浸って留年をしまくっていた可能性がある、というのは半分冗談だが。
さていよいよ学生将棋で一番面白いとされる団体戦全国大会についてだが、私は個人全勝賞を狙うと毎回公言して大会に臨んでいた。自分が勝つことがチームの優勝に直結すると思っていたので。しかし上の結果を見て明らかなように、全勝賞にはかすりもしなかったし通算成績35-16とチーム事情により出場していない2戦を勝ち計算しても勝率7割を切るというこれが全国優勝を狙う大学のエースの成績とはお笑いですかと言われそうなレベルの酷い成績である。実際上位の3チームに対しては個人としても特に厳しい結果となり、チームを入賞させられなかったのも残当であった。
具体的には、同地区で地区大会から激闘を繰り広げてきたR大、全国大会で毎回立ちはだかってきたT大及びW大との対戦における私の個人成績は以下の通りであった。
R大戦:地区大会3-3 全国大会4-2
T大戦:全国大会2-4
W大戦:全国大会1-5
ただでさえ私は戦略上徹底マークされていたはずだし相手は常に入賞する強豪相手なので当然誰とぶつかっても厳しい戦いにはなる訳だが、それにしても負け過ぎだし弱過ぎる以外の感想が見つからない。エース対決を落とすならまだしも正直この当たりなら高確率で勝てるし勝たないとチームとして話にならないというところも落としているので救いようがない。
全く意味のない仮定だが、私がもし特に苦しめられた上の強豪3チームのいずれかに属していたと仮定すると通算勝率は1割以上上がるはずであり、通算8割勝っていてもおかしくはなかったと推定できる。全くと言っていいほど負けなかった部内戦が公式戦に変わり、自チームの選手とは対局しなくて良くなる訳だから。ついでに言うならば、チームとしての全国優勝も当然のように経験できただろう。
しかし、私はあえて上記の強豪3チームに属する選択を取らなかった。自分が中心となって強豪3チームを全て薙ぎ倒して優勝することにこそ価値があると思っていたし、第4勢力として戦うことこそが戦力的なバランスが取れて大会を盛り上げると思っていた自分からすると当然の選択だった。
まあ成績自体についてはこのくらいにして、もっと肝心な現役時代の自分の将棋への向き合い方はどうだったのかについて振り返っておこう。
今でこそ部室の住人と化してしまった私だが、入学当初はあまりそういう感じではなく、最初は将棋もやりつつ体を動かしたりその他なかなか学生のうちにしかできないような体験もしたいと思っていくつか他のサークルにも属しており、あのウイルスにより活動停止するまではそれなりに参加していた。しかも将棋の方も最高の結果とはいかずともそれなりの結果ではあったから、最初の1年は比較的充実していた。
しかしあのウイルスにより大会が消えたことで、自分の本質が現れてしまった。結局、自分は将棋そのものが好きなのではなく、将棋を通して結果が出せることやその結果によって人生がうまくいくことに快楽を感じていただけなのである。つまり将棋は自分の人生を成功させるための道具でしかなかったのだ。その道具がこれまでの人生においてずっと将棋であったのは単なる偶然であり、それが囲碁だろうが麻雀だろうがその他の何かであろうが本質的にはどうでも良かったのだ。
もちろん将棋のゲーム性自体は初めて出会った頃と変わらず面白いと思っていたが、たとえ少し強くなったところで人生何も変わらないという状況になった時に始めたての頃のような将棋が楽しいから熱心に取り組もうという純粋な気持ちは完全に失われていた。
逆に部室で先輩達が時折楽しそうに打っているのを見て興味を持ち、自分もコミュニケーションツールとしてルールくらいは覚えるかとウイルス出現ギリギリのタイミングに始めたのが麻雀であった。本来将棋に対してあるべきだった純粋な気持ちは麻雀に向かっていってしまい、引きこもり生活を強要されている中でもネットで打ちまくれる麻雀の沼にハマっていくこととなった。
こういう気持ちの差というのは、多少の実力差ならいとも簡単に覆してしまうものであり、2年目の低迷の原因になった。
もっとも将棋自体もAI時代の中でどうすればこれ以上強くなれるのか分かっていなかったから、たとえこの時期に将棋に真剣に取り組んでいたとしてもどれほど強くなれていたかはよく分からない。そういう意味も込みで麻雀を始めたから良くなかったと単純に結論を出せる話ではなく、やはり長年培われてきた自分自身の根底にある思想こそが最大の問題だったと今は考えている。
ここまで完全に自分が将棋界から消えていく流れだが、幸いにも将棋の神は私を見捨ててはいなかったのかもしれない。そのことを一番感じたのは2年目冬全国の最終日である。
私はチームメイトに救われて出場できたこの大会に今度こそは自分がチームを救うのだと決意して臨んだのだが、初日は内容的には全敗でもおかしくない中なんとか個人全勝するも2日目になんと全敗を喫してしまった。正直2日目はなかなか厳しい当たりではあったので実力的に全勝するのは厳しいとしてもエースなら2勝1敗でまとめるくらいは期待されていただろうし、実力的には悪くても1勝2敗で帰ってこなくてはいけなかった。
そして迎えた最終日の初戦、相手は優勝候補の一角であるW大。自分としてはもし相手のエースに当たったら失うものはないし開き直ってぶつかろうと覚悟していたが、当時の主将の巧みなオーダー戦略によりエース対決は見事に回避された。相手のオーダーを知った時、私は正直にこう思った。
自分には2つの選択肢しか許されない。勝つか、圧倒的に勝つかだ。
どう考えても自分が勝たずしてチームが勝つことはないと思ったし、自分が勝っても全体としては届かない可能性も十分あったと思う。それでも、こんな悲惨な状態の私に対して絶対勝ってくれると計算して送り出してくれた主将の期待に応えない選択肢はない。思えば、自分が全勝することしか考えてこなかった私が自分のためではなく、こんな不甲斐ない自分にも応援してくれる、期待してくれる人達のために勝とうと思って対局に臨んだのはこの時が初めてだったかもしれない。
この対局も内容自体はあまりにも酷いものであり、気合だけで誤魔化したと言っても過言ではない。しかし最終的には勝つことができ、入賞の目が消滅していたチームとしても最後の意地を見せて勝つことができた。もし自分が負けたせいでチームが敗戦ということになっていたら、やはり今頃将棋を完全に辞めて雀荘に入り浸って留年をしまくっていた可能性がある。先に肝心なところだけよく負けたと書いているが、こういう真の土俵際だけは粘りに粘って凌いできた。その経験が今の自分を形成していると言っても過言ではない。
そして3年目に主将となり、先輩方に応援してもらいながら優秀な同期や後輩を率いるうちに結局自分は彼らに将棋以外では絶対に敵わない、将棋しかできないどうしようもない人間だと痛感できたことも将棋と再び真剣に向き合えるきっかけになったように思う。
最終的には将棋のスタイルを変えたりしながら低迷からそれなりに復活することができ、晴れやかな気持ちで引退することができた。詳しくは上のリンクから見られる記事に書いてあるしこの記事も長くなり過ぎているので割愛するが、多くの方から応援されている、期待されていることを感じながら自分のためというよりある意味仕事だと割り切って将棋を指せるようになったのが良かったと思う。
最後に現役の方の参考になるかもしれないと思い一つ技術的な反省を書いておくと、私は現役時代に団体戦を意識して確実に勝とうと指す戦型を絞っていたりしたが、これが自らの実力向上の妨げになっていたと思う。これは引退後に現役時代は一切指さなかったような将棋も指すようになって痛感したのだが、詳しくは次回の記事にて。
現役の方には、私のように自ら選択肢を狭めるようなことはせずに楽しく色々な将棋を指すことを通して自らの成長を実感してもらえれば嬉しく思う。
今回はなんとか予定通り現役時代についてまとめることができたので、次回は予定通り引退後から今日に至るまでを振り返ろうと思う。
本来、旅行に出発する前にこのシリーズを書き終えるつもりで、締めくくりを以下のようにするつもりだった。
私はこれから学生最後の長旅に出る。未知なる旅程を求めて。
残念ながら出発の日は近く、あと2回くらいこのシリーズは続く予定なのでとても間に合いそうにない。そのため旅行を踏まえた上で別の締めくくりを用意することになりそうだが、ここに幻のエンディングを供養したところで一旦筆を置く。
未知なる旅程(みち)を求めて(前編-3)
忙しない日常を送っていると、過去を省みる時間などない、ましてやこうして文章に残すなど以ての外だとなりがちなものである。こうして文章を書いている時間というのは、実はとても貴重なものなのかもしれない。そんなことを感じる今日この頃である。
さて本題に入ろう。内容は前回の続きで、今回は高校入学から大学入学までを振り返りながら今思うことを書いていく。今回は当時の自分が書き残した文章をベースにサクサク書けそうだしそんなに長文にならないつもりだがどうなることやら。
高校に入学した私は、将棋部に所属したが私の相手になる部員はいなかったし顧問にも大会以外は別に来なくて良いと言われていたので、息抜きに身体を動かす時間も欲しいなという軽いノリで運動部にも所属していた。今考えると、私は進学校で学業と将棋部と運動部の二刀流どころか三刀流を完璧にこなす超人...のはずはなく、まあ当然のように全てにおいて中途半端だった気がする。
まず運動部は実力皆無なのに色々理由をつけて練習をサボっていたし大会も直前になって将棋と重なって出なかったりと今考えてもどうしようもない奴だったから辞めろと言われたらいつでも辞めるつもりだったが、惰性で最後まで所属することを許してくれたどころか私の将棋の活動を応援してくれた当時のチームメイトには感謝以外の言葉が見つからない。
次に学業、これも今考えると圧倒的な実力不足を才能で誤魔化そうとしていただけだった。進学校にありがちな常に大量の課題に追われる生活をなんとかこなしていたのと周りの優秀な方々から常に刺激を頂いていたおかげで成績は常にそこそこという感じだった。
しかし将棋を引退した高3の夏以降に才能で一気に追い上げる...計画は完全に破綻しており、漢の前期一本で突撃したが悔しがる資格すらないほどの余裕の成績で不合格となり、見事に予備校という名の専門学校に進学を決めたのであった。予備校時代のことはまた後で書くことにする。
最後に将棋。私は高校大会は全部優勝して一般の全国タイトルを獲るつもりだったが、結局某高校大会こそ3連覇したもののそれ以外の高校大会は初めての全国で3位になった以外入賞すら無しに終わった。まあ大量のベスト8負けや16負けがある訳ですが。
一般大会の方も全国大会には何回か出場できたが入賞なしどころかほとんど予選落ちで今考えると単純に実力不足以外の言葉がない。
当時の私は高校大会では悉く当たり運が悪かったと振り返っており、それは今でも間違いではないと思う。しかし優勝しか意味ないと思っているなら誰に当たろうが勝つしかないので、入賞できなかったのは運としても優勝できなかったことには言い訳の余地が全くない。
今考えると、将棋の結果が振るわなかったのは三刀流をやろうとして将棋に捧げる時間が足りていなかったこと以上にいろいろと考えさせられる大きな出来事が2つあって自らの棋力向上だけに意識を向けられなかったことが原因ではないかと思う。
まず1つはコンピュータ将棋の進化である。私が中学生の時に既に電脳戦でコンピュータ将棋はプロに勝っていたのだが、いよいよコンピュータが全人類の棋力を完全に超えて、コンピュータを駆使した研究で一撃必殺を狙ってくるようなプレイヤーがアマチュアにも出現するようになったのがこの高校時代であった。
実際ソフト研究で完璧にハメられて負けるようなこともあり、これまでの序盤では全く通用しなくなった。これは前回書いたように子供離れした序盤力で勝ちまくってきた私にとって自らの優位性を完全に失うことになり、あまりにも痛恨であった。しかし現実を嘆いている場合ではない私は手探りながらも新しい将棋の可能性を追求するようになったが、それと同時にソフト不正使用疑惑等で大きく揺れる将棋界とどのように向き合っていくべきかいろいろと考えさせられた。正直、今も正解は分からない。そもそも当時と今ではソフトのレベルが違いすぎて考え方が大きく変わっているのは当然だと思うが。
そしてもう1つは藤井聡太の出現である。中学生でプロデビューしていきなり勝ちまくり、世間に大きなブームを引き起こす彼の姿を見て、最初は現実が受け入れられなかった。今考えると、そもそも将棋界において大したことなかった自分の価値が完全に0になっていくという現実から必死に目を背けようとしていたのだろう。しかし棋譜を見ると、彼が自分とは比較にならない強さであり、今後も差をつけられる一方であろう、そのことがすぐに分かるには当時の私の棋力でも十分過ぎた。
どう考えても強くなって結果を出すしか現状を打破する方法はないのだから無駄なことを考える時間があるならとにかく将棋に向き合う、強くなることだけに注力するというシンプルな考え方をすれば良かったと思うが、ここでも私の悪い癖が出た。
具体的には、将棋ソフトが人間より強くなったこの新時代でどうソフトと向き合えば強くなれるのか、勝てるのか。その答えを探ろうとしたが全く分からず、かなり長期間迷走してしまった。本来自分の強みであるはずの高い思考力が仇となり余計なことを考えて自滅してしまったのだ。
ここまで人生を振り返ってきてようやく気付いたが、私は考え過ぎで失敗しているだけだ。もしかしたらこのことを自覚できただけでもこのブログを書いた意味があるのかもしれない。
さて、高校を卒業し予備校に進学した私は完全に闇堕ちルートを辿ることになった。一刻も早くこの苦しい空間を抜けると決意し、周りには高校の同級生も結構いたが意識的に友達を作ったり会話したりという行為を減らすようにしていた。まあ私は元来口数が多い人間ではないのだが。
5月くらいまでは将棋の大会に出たりもしていたが、現役時の入試の酷い成績開示を見てやはり勉強に専念すべきということでしばらく将棋大会から完全に離れることになった。
とはいえ大学将棋等の結果は見ていたので、高校大会で鎬を削った同級生や高校時代に奨励会を辞めた私の長年のライバル等の大活躍はよく知っており非常に歯痒い思いをしていた。大学将棋のレベルはあまり大したことないのではないか、自分も出ていれば結構勝てたのではないか、正直そう思わずにはいられなかった。
予備校時代は1日の勉強時間は6~7時間を毎日安定して確保しつつ持ち味の計画性と過集中で質を最大限高めるスタイルで、夏に一応合格圏内に入ってからずっとギリギリ合格できそうな形勢を維持し続けていた。そのため現役生に抜き去られる前に早く試験本番来ないかなとずっと思い続けていて、センター試験で思ったように点数が伸ばせないという誤算があったが結果としては計画通りギリギリ逃げ切って合格することができた。
親からは医学部以外の2浪はダメと言われていたので、当然現役時代のように漢の前期一本とはいかず私大を複数受けたし前期がダメなら後期も受ける予定があった。結果としては全て受かっていたが、もしここでの結果が違えば全く違う人生になっていたであろう。
合格を1年遅れて勝ち取り、ようやくバラ色の未来がやってくるのだ、学生将棋で無双するのだ、そう春からの学生生活を心待ちにしていた私だったが、待ち受けていたのは全く想像もし得ない、未知なる旅程であった。
次回からようやく中編に入り、本記事の趣旨である学生生活の振り返りをしていこうと思う。中編は現役時代(学部生時代)と引退後(修士時代)の2部に分けるつもりであると予告して一旦筆を置く。
未知なる旅程(みち)を求めて(前編-2)
前回の記事の反響が予想以上に大きく、直接読者の方からコメントをいただくこともあったので嬉しく思うと同時に驚いている。あくまでこのブログは私の個人的な趣味で書いているものだし、モチベを上げるためにSNS上での宣伝はしているがどうせみんな適当にしか見ないだろうと思っている。しかし一応炎上しないようにビビりながらやっており、結果として私の貧弱な文章力がバレないようにChatGPTの添削受けながら書いておいて良かった。
一応読者の声とかはチェックして記事に反映しようとしているつもりなので、直接でも間接的にでも良いので気軽にコメントいただけると嬉しいですね。ただし過度な要求や期待をされても困りますので、そこはよろしくお願いします。
さて本題に入ろう。内容は前回の続きで、今回は中学生時代から大学入学までを振り返りながら今思うことを書いていく。前回は今将棋を頑張っているお子様をお持ちの親御さんに向けてのメッセージ的なことを書いてしまったが、今回は将棋素人の私なりにプロ志望かどうかを問わずこれから将棋が強くなりたいと思っている皆さんにとって少しはヒントになると思われることを書くつもりなので、ぜひ読んでいただきたい。
地元の公立中学校に進学した私は一応運動部に所属しつつ平日は学業の傍ら一人で棋譜を見たりして研究するかネット将棋を指す生活をし、週末は将棋で遠征することが増えた。
中学生時代は学業と両立しつつかなり頑張っていたと思うし実際実力もかなり向上したと思うのだが、自分の将棋への向き合い方で決定的に良くなかったと思っている部分がある。
それはネット将棋の活用方法だ。私はレーティングを一定の値にすること=プロになれる実力に到達することだと信じ込んでいたところがあり、対戦相手も格上に絞っていた。また、負けてレートを溶かすなどあってはならないと思っていた。
しかし、私の勝利至上主義の考え方には大きな欠陥があった。対局数が稼げなかったのである。
もちろん何も考えずに闇雲に廃指ししてもレートは安定しないどころか落ちるだけでしかも大して将棋は強くなれないので、対局数が全てだというのは間違っている。
しかし所詮練習なのに負けることを過剰に恐れた結果、将棋を怠けていたわけではないので常にある程度安定した成績は残すが肝心なところで毎回負けてしまうというループにハマっていたのではないだろうか。
ネット将棋では所詮練習だと割り切ってもう少し負けることに臆することなく、格下をカモにして勝ちを量産してモチベとレートを上げる→上げたレートを生かして格上と指して跳ね返される→またレートを戻す段階で実力を向上させるというループを貪欲に回すべきだった。私には最初の格下から対局数と白星を稼ぐ部分が足りていなかった。これが今の私の見解であり、強くなりたい人にはぜひ実践してもらいたいと思う。
もちろん目の前の対局に絶対負けられないという気持ちで常に真剣に向かうことができない奴は強くなれないと思うが、私の場合その考えが強すぎたことがかえって成長の妨げになっていたのではないか。この結論に楽しそうにネット将棋廃人をやる後輩達の姿を見るうちに到達した訳だが、残念ながらもう手遅れであった。
あと私は無意識のうちに将棋の指し方自体も縛られていた。これも勝利主義の弊害であり、あまり良くなかった気がする。
まず前提として、強くなりたいなら損得以外の理由で指し手を選んではいけない。気分で指し手を変えるなど論外である。この部分に関しては私は一切譲るつもりはない。
なぜなら損得以外の理由で指し手を選んでしまうとミスという概念が定義できず、反省と修正ができないからだ。要は損なプレイングをしていたことが後の検証で明らかになった時に改善するマインドが必須ということである。
ただし誤解してはいけないのは、損得で指し手を選ぶというのは目の前の将棋における勝率を最大化させるように指すという意味であり、必ずしもAIの評価値を最大化させることとは一致しない。例えば意図的に評価値的に次善の策を選ぶことで自分の土俵に引っ張り込むとか評価値的に不利とされているが自分の強みが活かせる展開に持ち込むといった戦術があるが、これらは勝率の最大化を意図してやっているのであれば問題ない。
一局単位の収支を考えるなら勝率の最大化が全てであり負けられない大会等では他のことを考える必要はないが、私の損得判断には決定的に欠けていたものがあった。そう、練習においては長期的な実力向上を意図したわざと勝率を下げる指し手選択が得になることがある。私は勝利を追い求めるあまりいつの間にかこのことを忘れていた気がする。完全に木を見て森を見ずであった。
藤井聡太などのトップ棋士が森を追い求めて森の奥深くに眠る真の最適解にどんどん近づいていく一方、私は隣の木だけ見て局所最適解を追い続けた結果いつまで経っても同じ場所を行き来してしまっていたのかもしれない。
私の最適化はかなり早い段階で局所最適解に収束してしまっていたのだが、不幸なことにこの局所最適解がさほど悪くなかったことが森の奥深くの最適解の発見を遅らせ、気付いた時には手遅れになっていたのである。
具体的には、私は小学生の頃から序盤守備型の大人っぽい将棋だった。しかし、大半の子供は終盤攻撃型の将棋を指し、荒さが故に痛い目に遭うことで徐々に序盤や守備を覚えていくものである。
特に才能がある人は序盤も守備もほとんど知らないままプロに匹敵する実力にまで到達することがあるらしいが、完全に逆の私からすると想像もできない世界である。
私の特異な序盤守備型の良く言えば完成された、悪く言えば伸び代のない将棋はある一定のレベル以下の終盤攻撃型に対しては異常なほどの高勝率を叩き出した。しかし、ある閾値を超える鋭い攻撃を繰り出す相手には全くというほど勝てず、攻略の糸口がなかなか見えてこなかった。それなりに大会で勝ててしまうが故に根本的な改善ができず、結局総合力を少しずつ底上げすることしかできなかった。
今思うと大きく遠回りをしてしまったし、もう少し守備を忘れて特攻するような将棋を意図的に指しておくのが長期的に見て良かったと思う。この考えがあれば先に書いたネット将棋の活用方法も改善できていたはずなので、非常に勿体無いことをした。
あと奨励会に対する考え方も今考えるとおかしいところがあった。知り合いやライバルが続々と奨励会に入っていく中、私も中1と中2の時は中学生の全国大会でベスト4以上の結果が出せれば師匠なしで受けられるから奨励会を受けようという思考だった。その結果、中1で2回ベスト8敗退に終わるなど今考えても芸術的なくらい絶妙に奨励会を受けられる結果に届かずに受験を断念することになった。
なお2回のベスト8敗退の1回目は必勝形からの大逆転負けで、2回目は当時何回か指したことがあって一度も負けたことがなかった現在超高勝率を叩き出している某プロ棋士に初めて負けたものだった。
どちらか一方だけでも勝っていれば人生は違ったはずだがあくまで結果論であり、私の本質的な問題は別にあった。それは奨励会は勝負の場であり、そこで生き残る覚悟を持ち、勝てる実力をつけてから入るべきと強く思い過ぎていたことである。私は前の記事に書いた通り負ける度にかなり苦しい思いをしてきた訳だが、その影響もあってか精神的に鍛えられてかなり強くなった反面このような思想の偏りが出てしまったという意味で損をしたのかもしれない。
もちろん、最近習い事感覚で奨励会に入るような人が増えていると聞くが、これは決して良いこととは思わない。また実力不足で入ってもどうせボコボコにされるだけだ。だから私の考えは一見正しかったように思えるが、ここでもプロになるために不可欠な重大な考えが抜けており、結果的にこのことが私にトドメを刺した。
そう、奨励会に入ってからどれだけ強くなれるかがプロになれるかを決めるのであり、入った時点の実力は全く問題ではない。だからプロになろうと少しでも思っているならとりあえず奨励会に一刻でも早く入るべきだし、奨励会入会の抽選を受ける、つまり入会試験を受けることにはもっと積極的な姿勢であるべきだった。東京や大阪といった都会に住んでいた訳ではなかったが、意志さえあれば師匠を探して頼み込んで大会の結果に関係なく奨励会を受けるくらいのことは比較的容易にできたのだから。
ここまで私自身を酷評するようなことばかり書いてきたが、兎にも角にも奨励会試験を2~3回見送ったあたりくらいからアマチュアとしては実力とともに実績が付いてくるようになってきた。
中2の秋に一般大会で初めて県代表になると、そこからは一般全国大会で結果を出して公式戦出場、ひいては奨励会やプロに編入するルートを目指そうと考えるようになった。
そして中3の時に実績的には残念ながら10年以上経った今なおキャリアハイとなっている成績を叩き出した。具体的には一般全国大会準優勝1回とベスト8が2回、そして中学生の全国大会で我ながら圧倒的な内容で優勝した。やはり中2の夏までに私のライバルとなりうるような同年代が軒並み奨励会に入ってしまったのは大きかった。
この年は惜しくも公式戦出場には届かなかったが、このまま奨励会に入らずとも奨励会にいる同年代と競い合う気持ちで強くなっていけば近いうちに公式戦に出られるのではないかと思ったため、受けていれば間違いなく入れていたであろう奨励会を平然とスルーした。今思えばここでも奨励会に入る手はあったしプロを目指すという観点では最後の分岐点だったかもしれないが、このタイミングで奨励会に入るのは一貫性のない選択になってしまうので本譜が妥当な進行であったと言える。
学業の方もトップには届かないが安定して好成績を出し、無事に県トップの進学校に合格した私はバラ色の未来を想像し胸を膨らませていた。しかし、そこに待ち受けていた誰も通ったことのない未知なる旅程は長く険しいものだった。キリが良いのでここで一旦打ち切り、詳細は次回の記事、前編-3に書くこととする。
次回でようやく前編が終わりそうだが、諸事情により記事の更新ペースを早めないとマズいので頑張ると決意して一旦筆を置く。
未知なる旅程(みち)を求めて(前編-1)
修論が、終わった。刻一刻と迫ってくる締め切りに焦る日々は憂鬱で決して楽なものではなかったしもう一度やってみたいともあまり思わないのだが、終わりに近づくにつれ、ああ終わってしまうんだ、もうこういうことしなくていいのかと逆になんか寂しい気持ちになったりもしたのは不思議な体験だった。
さて、卒業が決まり個人的にはようやく年明けという感じだ。この春からの新たな旅路に備え、ようやく束の間の休息期間が始まったところで年末に予告した通り学生生活を振り返る大作(となるであろう)ブログの執筆に勤しんでいるところである。
タイトルや構成をどうしようか修論を書きながらもかなり考え悩んだが、とりあえず2~3部でまとめられたらいいなと考えつつ私のこれまでの人生、未知なる旅程(みち)を求めてきた日々のことを思うがままに綴っていく所存である。この先にこれほどに過去に思いを馳せる機会があるかは分からないし。
まあとてつもなく長文になることが予想されるので、肩の力を抜いて最後までお付き合いくだされば幸いである。
さて学生生活を振り返ると言いつつ、そもそも私が今のこの大学での学生生活に辿り着くまでの道のりがすでに紆余曲折の連続だった。まずは前置きとしてそこを書くことにする。それでは、長い長い本題の始まりだ。
私は今から約25年前、福岡(といっても大都会ではなく大分寄りのところ)で生まれたらしい。物心つく前に親の仕事の都合で埼玉に引っ越したので残念ながら当時の記憶は皆無だが、少しはいわゆる九州男児の血が入っているのかもしれない。埼玉の記憶は当時のお友達の名前も覚えているくらいには割としっかりしているが、この頃は将棋も全く知らず普通に幼稚園に通っていた。そして5歳になる時にようやく三重に引っ越して(戻ってきて)現代では珍しくなった3世代同居生活が始まった。
この頃までは数字大好きで割とマイペースな子供であった以外には割と普通の道を進んでいたような気もするが、実は既に子供離れした全く可愛くないある思想に潜在的に支配され始めていたのかもしれない。どんな思想かというと、
“東大に行くだけなら今から勉強していれば行けるだろう。でも、それでは人生うまくいかない。だから自分にしかない武器を身につけて競争率の低い世界で頂点に立たなければいけない。”
当時の思考を完全にトレースするのは難しいが、要約するとまあこんな感じだ。別に誰かに洗脳されたとかでもなく優秀な人材の過労死のニュースなどを見て自分で勝手に思うようになっただけだろうが、兎にも角にも胸の奥に秘めたこの過激な思想が後の私の人生において将棋の世界でのある程度の成功につながった反面今日までプロの世界で活躍するには至らないという結果を招いてしまったと今では思っている。これがどういうことかは後ほど詳しく書くが、一旦伏線だけ張っておく。
さて、地元の公立小学校に入学して迎えた最初の冬のこと。割と普通に生きてきた私の今日まで、いやこれからも続く未知なる旅程を求める旅の始まりとも言えるイベントがついに起こってしまった。そう、将棋との出会いだ。
最初はオセロ等のボードゲームのうちの一つとしてルールを覚えたのだが、将棋にのめり込み始めた当初は父や祖父に時々相手をしてもらう以外は一人将棋をやっていることが多かった気がする。まあだんだん相手にならなくなったというのもあるが。
思えばこの頃、原田泰夫先生の詰将棋本を無限ループしたり一人で初形からの指し方を考え続けたりしたことが自分の原点なのかもしれない。
自分の周りに将棋をやる同年代の人が全くいなかったのも先に述べた潜在的な思想とマッチしていた。いや、当時はまだこの世界のことをほとんど知らなかっただけだが。TV番組で羽生さんが出演してるのを見たり新聞の将棋欄を見たりしているうちに次第に羽生さんのようなプロ棋士になりたいと子供ながらの純粋な心で思うようになり、地元の将棋愛好会に年配の方々に混じって小学生が一人参加するようになった。これが小3くらいまでの井の中の蛙ですらなかった頃の話だ。
徐々に地元の支部や色々な大会の存在を知り大会に毎週のように出始めるようになったのは小4くらいからで、ここから楽しい日々が続くかと思いきや今日まで心のどこかに闇を抱えるようになる苦しい日々が始まった。大会に出始めた当初はまだ相手のレベルが高くないので当たり前のように勝てた訳だが、当然上には上がいる。当たり前だが当時の実力ではお話にならず負けが込むようになってきた。
親も私のプロになりたいという言葉を本気で受け止め、大会の送迎等熱心に応援してくれた。落魄れた今でも応援してくれているのかなとは感じるし、ある意味では私の一番のファンなのかもしれない。
“見守ってくれて感謝しています。ありがとう。”
本来はこういう言葉をプロ棋士として活躍して、心の底から伝えたかった。でも現実には未だそれは実現していないし、私の心には感謝とは真逆の感情も残ってしまった。
このことは本当に悲しいし、自分の恥を晒すようなことにもなりかねないからあまり表には出したくないという気持ちもありつつ、将棋界の未来のため、そして二度と私のように苦しむ人間を出さないため、私が将棋界に対してできる最大の貢献だと覚悟を決めて、心を鬼にして詳細を書いておこうと思う。正直、適当に読み流したい読者は今から少し進んだところにある太字だけ読んでくれたらそれで良い。特に今将棋を頑張っているお子様をお持ちの親御さんには絶対に読んでいただきたい。
私は将棋で負ける度にかなりきついことを言われてきたし、敗因をしつこく追求されてきた。本人が一番真剣に敗戦と向き合っていたというのに。勉強のノルマを色々課してきてちょっとできてなかったり、ネット将棋のレートが落ちたりしただけでもいろいろ言われてきた。正直、強くなりたいから多少きつい言い方でも将棋が自分より圧倒的に強い人から技術的なアドバイスをもらえるのなら自分にとってとても嬉しかった。たちが悪いのは、将棋素人から根拠のない精神論を振りかざされ続けたことである。特に親として論外だと思うのは、
“将棋なんてやめちまえ、これからは勉強に専念しろ”
これを何回言われたか数えきれないことだ。
悪いことをあまり言いたくないのでフォローしておくと、もちろん先に述べた言動も私を応援してくれるが故のものだったはずだし、熱心に応援してくれたからこそ今の私があるのも紛れもない事実だ。だからこそ余計に悲劇性が増している。
私は幸いなことにこの苦しみを努力と才能でなんとか乗り越えて今でも将棋界で生きることができているが、もしかしたら歴史上こういうことを言われて私より遥かに早い段階で潰れてしまった人が何人もいるのかもしれない。
だからこそ生き残った私には将棋界での使命があると思っている。私は今将棋を頑張っているお子様をお持ちの親御さん全員にお伝えしたい。
本当の応援は、黙って将棋に集中できる環境を作ってあげることだ。本人が悔しい思いをしている時こそ静かに見守るだけで良い。決して技術的根拠のない余計なことを言ってはならない。
私の知る限りプロ棋士になっていった方の親御さんは全員これができていたように感じる。私のように苦しむ人が現れないことを祈っています。もし今までできていなかったと感じたら、今からでも遅くないので改善してほしいなと願います。
まあこれは親が良かれと思ってやったことが実際には逆効果になった具体例であり、将棋に限らず、子供が本気で打ち込んでいるもの全般に言えることでもあろう。
無論プロ棋士にも過去にこういう苦しみを味わった方がいらっしゃるかもしれないし、私の現状を親のせいにするつもりは全くない。単なる実力不足であり、全て自分が悪い。ただ自らの将棋に対する熱意と努力と才能の全てがトップ棋士として活躍するには圧倒的に足りていなかったというだけのことである。
幸いにも今私が現実を受け入れて生きられているのは藤井聡太という圧倒的な存在を目の当たりにすることができたのが非常に大きい。最初は受け入れるのに時間がかかったけど、時間が経つにつれてああ、自分の人生のたらればを言ってもどうせ大差なかったな、と思えたから。
だからこれまでの人生に対する後悔とかは今となってはあまりなくて、これから自分がプロ棋士になっていた世界線以上に良い人生にしていければ全く問題ないと思っている。
あと、この辛い経験は後に後輩への将棋指導で活きる事になった。詳しくはまた後で。
さて、こんな辛い話はもうやめよう。次は私が小4以降の将棋人生で出会ったものの話をしよう。
私はツイているのかある意味持ってないのか分からないが、田舎とは思えないほど常に強い奴に囲まれる日々だった。今となっては当時のレベルの高さは証明できているから自分も結構頑張れていたのかなとも思うけど。
地元の支部で初めて出会ってしばらく私が全く勝たせてもらえなかった年上の先輩達のうちの1人は後のプロ棋士だし、年下にも後の奨励会員が複数いたりする。
またエリアが違うが同じ県にいた同級生には最初全く勝てず、小学生大会の県代表はかなり困難だった。
だからこそ小5の冬に初めて彼に勝って全国大会初出場を決めた時は本気で人生変えたと思った。なんせこの大会、優勝しなければ将棋やめろとかなり本気で言われていたから。もし負けていたら今どうなっていたか、想像もしたくない。もしかしたら今とあまり変わってないのかもしれないけど。
ちなみに決勝で当たった彼とはその後も何度も当たるからそのことはまた後で書くけど、私が強くなれたのも間違いなく彼のような存在のおかげだと思う。あと同郷の同級生に私と彼以外にもう一人最初は勝てなかった方がいて、その方もあの先輩と同じように現在プロ棋士である。
全国大会ではその年の優勝者を含む後のプロ棋士を2人破る活躍を見せたが、残念ながら後にある大学の主力として私の前に立ちはだかる少年に敗れ入賞には届かなかった。
そして小6の時、運もあって小学生にしてなんと一般の全国大会代表になってしかも予選を通過してしまった。当時の米長会長と写真を撮ってもらったのも良い思い出だが、私には会長に言われたある言葉がとても印象に残っている。
“君、兄か。それは大変だぞ。”
妹を持つ私にまあこんな感じのことを言われた。“兄は頭が悪いから東大に行った”で有名な会長らしい発言だなと思う。
この言葉を、兄は性格が優しくなるから勝負事には向いていないということだと小学生ながらに解釈した私はなんとしてもプロになってこの言葉を覆してやろうと思ったものだ。現実は、会長が正しかったけど。
小学生時代のことは例えば当時はまだ藤井聡太に普通に勝てていた話などまだまだ書けるネタは尽きないが、本来この前編では大学に入るまでの軌跡をまとめるはずだったのに趣旨に反するので、そろそろ中学生時代の話に進もうと思う。
しかし話を始めるとどうせ長くなるので、今回はここで一旦打ち切って前編-1としよう。肝心なメッセージの濃度が薄くなったら台無しなので。
次回の記事、前編-2で大学入学までを書き切れると良いなと思うが、計画性皆無で文章を生成しているので、構成再変更になってもお許し願いたい。次回の記事もできるだけ早く更新することを約束して、一旦筆を置く。
本年の振り返り
ふとブログを開くと、誕生日の時に書こうとした記事の下書き(未完成)が見つかった。ちょっと最近忙しいとはいえ、この放置プレイはさすがに酷い。
来年はもう少したくさん記事書けるよう頑張ります!
これで本年の振り返り終了しても良いくらいだが、せっかく書き始めたので雑に2024を振り返ろうと思う。
まず将棋について。今年を振り返ると、京都大会は3代表2決勝負けと学生最後に飛躍できたが全国級の大会はほぼ全て予選通過後に本戦の早い段階で入賞者に敗れた。
この結果を“入賞者と実力差はあまりなかった、運が悪かっただけ”と勘違いしたら永遠に同じ結果になると思うので謙虚にさらなる飛躍を目指す!
こう意気込んだは良いものの、来年以降将棋にどれくらい重点をおけるか不透明だ。(とか言いつつそれなりに真剣にやっている自分の姿が容易に想像できる)
今は自分の中で将棋を一時引退しているが、復帰したときに新しい自分を出すための準備期間と思っている。
自分のことはこれくらいにして、今年は後輩をはじめとする自分が将棋を教えた人達が皆大きく成長し飛躍を遂げたことを非常に嬉しく思っているし自分も刺激をもらえた。これも自分の今年の飛躍の一因かなと思っているので、今後も若い人にはまだまだ負けんという意気込みで日々刺激を受けながら生きていきたいと思う。
将棋以外だと特筆するとしたら某活(就活)と修論くらいだろうか。
今年が始まった時点では某活と修論どうなるのかと先行き不透明すぎて不安もあったが、今のところ無事に来春からの行き先決まったし修論も最後の1ヶ月頑張ればなんとかなりそうな情勢までは持ち込めたので今はとにかくやるしかない。
卒業決まるまでが某活、発表会終わるまでが修論だ!
他にもうちょっとプライベートなテーマ(例えば恋愛なり将棋以外の趣味なり)についても何か書ければ良かったが、まあお察しの通り本当に何もなかったので……
まあ環境が大きく変わる来年が勝負でしょう!(大学入学前も同じこと思ってた気が……)
今回はこのあたりにして、予告すると来年2〜3月に学生生活を振り返る大作(となるであろう)ブログをリリース予定だ。
今何を書き残そうかと頭の中をいろいろな考えが駆け巡っている。自分でもどうなるか分からないし楽しみだ。
とりあえず今は修論頑張ります。話はそれからだ。