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京都大学大学院情報学研究科入学試験受験記

タイトルの通り京都大学大学院情報学研究科の入学試験を受けたので某先輩を見習って受験記でも書いていこうと思う。

 

何かの参考にしようと思って読み始めてくださった方には大変申し訳ないが、この記事は正直受かるやろと内心舐めプをしたまま試験に臨み、現在学部生として所属している(あまり人気が無いらしい)研究室にそのまま合格した人間が書いているので日本一参考にならない受験記となるであろうことをお許し願いたい。

 

とはいえ内部生がどのような介護を受ければ良いのかの参考にはなるかもしれないので、院試前に何をしたかから順に振り返っていこう。

 

研究室でゼミが始まったGW明けから勉強を始めた。こう書くと2ヶ月以上猛勉強していたと見せかけて実際院試廃人になっていたのは院試10日くらい前からの約1週間だけである。

 

まずは過去問に目を通し、自力で解いてみるが、解けない問題が多かった。それもそのはず、3回生までただ単位を回収していただけで何も身についていなかったのだから。

 

このように不勉強だったのは2回生以降あのウイルスのせいもあって学業に対するモチベーションが低かったこともあるが、それ以上にどうせ院試前に勉強するんやし、そこできちんと理解すればええやろと困難を先送りしてもなんとかなるという気持ちでいたことのほうが大きな要因である。どこか心の底では院試を舐めていたし、この心理状態は院試当日まで大きく変わることはなかった。

 

過去問は5年分しかHPに公開されてないし解答例もないしこれからどうやって勉強すれば良いのかと思っていたところで最初の介護を研究室同期からしてもらった。過去問等の問題や解答例などがあるドライブを共有してもらったのである。これで院試までに何を勉強すれば良いかの見通しは立った。

 

とはいえ最新の過去問の解答例はないし自分の解答が正しいかもよく分からんし何より問題が解けないしと進捗が皆無に等しかったところで次なる介護をしてもらった。久しぶりに学科のSlackを開いたらなんと同じ専攻を受ける人達の院試対策用チャンネルができているではないか!

 

喜んで自分も参加すると、自分よりはるかに優秀な学科同期が最新の過去問の解答例等をアップしてくれていたので大変参考にさせていただいた。自分はノートのあまりきれいでない字をアップするのは気が引けたのもあって一切解答をアップせず恩恵を受けるばかりで少し申し訳なく思うと同時に改めてこの場で感謝申し上げたい。

 

ここからは戦略的な話になるが、まず基礎科目は全て選択問題だったので毎年1題しか出ない力学の勉強は放棄し、絶対に避けては通れない数学の勉強に全振りしてやることにした。ちなみに力学も余裕があればやってみるかと思っていたが、院試直前に余裕が出てきて最新の過去問をやってみたらモーメントの計算からいきなり躓いて挫折し、結局ほぼ何もやらなかった。

 

将棋部の大会やゼミの予習もあって6月に入っても、いや院試2週間前になってもなかなか院試勉強ができていなかったが、それでも基礎科目は基礎事項を一通り理解し、直前に演習を重ねればなんとかなりそうと思えるところまではなんとか進捗を生んだ。

 

次に専門科目だが、1題選択とはいえ研究室推奨の工業数学と3回生後期に講義を受けたばかりの連続体力学の2つを勉強して本番で解きやすそうな方を選ぶ作戦を立てた。

 

連続体力学は試験も一夜漬けでギリギリで単位を取った過去があったのでナビエ・ストークス方程式すらまともに覚えてない状態からのスタートだったが、講義資料を何度も見直し、自分よりはるかに先に進捗を生んでいる同期達の解答例も参考にしつつ基礎事項を覚えていった。

 

工業数学は一部の内容についてはゼミでもやっていたが、ここで大変なことに気付く。なんと院試科目の講義資料がない!きちんと履修して単位も取っているのに......と思っていたところでまたしても介護をしてもらった。優秀な後輩に講義資料を送ってもらったのである。この介護がなければ間違いなく院試は爆死していたであろう。なにせ複素積分を完全に忘れている状態だったのだから......

 

こうして勉強に必要なアイテムは一通り揃え、あとは演習するだけという状態になったところで院試2週間前の大会でもしっかり結果を出して将棋を一時引退した。

 

そしてゼミも院試休みに入ったが、相変わらず進捗が虚無になる毎に天鳳廃人になってしまう状態が続いていた。しかし院試10日前、八段に昇段し院試の倍率が発表されたタイミングでさらに気合いを入れるべく院試が終わるまで一切麻雀は打たず院試廃人になると決意し、自分の決意に忠実に院試廃人生活を送っていった。

 

麻雀を打とうが打たなかろうが学業や将棋の成績には一切関係ない、ただ勉強したか、将棋を研究したかだけが関係あるのだというのが私の持論なので、私は他人に麻雀をやり玉に挙げられると他人の趣味に口を出すな、絶対に許せないと思う人種である。そんな私が麻雀をやめたのはやめるならこのタイミングしかないと思ったことと負けて精神的ダメージを受けるリスクを回避したかったことの2点が理由であり、実際院試後に復帰したら見事なまでにボコボコにやられたので結果的に大ファインプレーとなった。

 

院試廃人期間は息抜きに将棋部に顔を出したりもしたが、本当に顔を出すだけで将棋を一切指さず勉強していただけだった。結局院試2日前には基礎科目は全問解けた訳ではないが約20年分の問題を全て一通り目を通した状態に、専門科目は工業数学も流体力学ももちろん全て解けるとは言わないが解くべき問題はしっかり解ける状態には仕上がっていた。

 

そしてやることがなくなったので院試2日前は院試と全く関係ないゼミの予習しかしていなかったし、院試前日はノートを見直しつつも勉強に熱が入らず将棋部に平然と顔を出すという舐めプをかましてしまいこれで受からなかったらただのお笑いにしかならないというプレッシャーを感じながら院試当日を迎えた。

 

そして迎えた院試当日、あまり眠れなかったが余裕で起床に成功して午前中の基礎科目の試験を受けた。行列の固有値を計算したらきれいな値が出てこなくて(実際はその計算は合っていたが)10分くらいフリーズしてしまったのもあって見直しができなかったが、計算ミスがあるかは分からないものの自分の才能は出し切れたと思うので悔いはなく、午後の専門科目も才能を出し切ろうと思った。

 

昼休みはほぼ何も食べず研究室に1人で引きこもってリラックスし、午後の専門科目の試験を受けた。流体力学が近年の過去問通り解けそうなら解くつもりだったが、難しそうだったので作戦通り工業数学で勝負した。しかし明らかに負になるはずの積分が何回やっても0になるバグが取れず、試験終了時には爆死したかもなと思った。

 

口頭試問対象者の発表を待つ間に研究室で同期と院試の話をしていたが、その発表が予定より大幅に遅れ、長く重苦しいお祈りタイムが続くこととなった。院試後は雀荘に直行する予定だったので早く発表してくれとしか思っていなかった。

 

ようやくお祈りタイムから解放され、口頭試問対象者の番号一覧を見るとそこに自分の番号が無事に見つかった!内部生は口頭試問に呼ばれたら(ほぼ)合格という話を事前に聞いていたのでこの時点で院試は実質終了である。感想としては一安心したのと同時に想像以上に多くの受験生が口頭試問にすら進めていなくて驚いたというところですね。

 

そこから口頭試問までかなり待たされてようやく自分の番になった。受験番号と氏名と経歴と志望研究室と志望理由、あとは卒業後の進路予定を聞かれたくらいでほぼ形式的な質問だけで口頭試問は終了、次の受験者を呼び出して院試は終了し、遅ればせながら大学から雀荘に直行した。

 

翌日に計算知能を使って院試の答え合わせをしたら案の定計算ミスが見つかってこんな計算も間違えるような奴が院試に受かってしまってごめんなさいという気持ちになった。とはいえ方針は間違っていなかったので耐えると思っていた、単純な計算ミスだけで落とされるような採点はされていないはずなので。

 

そして合格発表当日、もしもここまで盛大に予祝をしておいて落ちていたらお笑いにしかならないよなと思いつつ合格者一覧のページを開いたが、当然のように自分の番号があった。

 

学部入試の時より勉強に捧げた時間はかなり少なかったし難易度も低かったはずだが、絶対に合格せねばならないというプレッシャーははるかに大きかったので無事に合格してようやく落ち着いて生活できるなというところだ。これで正式にB4改めM0となることができたので、今後はM1に進級できるよう卒論を頑張っていきたい。

 

思ったよりかなり長くなってしまったが、最後に私を介護してくださった全ての方、そして最後まで読んでくださった全ての方に感謝を申し上げて筆を置く。

 

(2022/09/06追記:

院試点数開示結果発表!!
基礎科目85/150
専門科目60/150
合計  145/300
結果  合格??!!
結論としては足切りラインが5割よりも低いことが証明されましたね。とはいえ“院試ってこんな点数でも受かるんですね!”と全人類に煽られそうなのでこの点数は全世界に晒すのはやめていつもこのブログを読んでくださっている皆様だけに特別に公開することにしました。)