anyadraの日常

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将棋なんてくだらないんだよ(前編)

先日、とある悲報が届いた。将棋の春大会、中止とのことだ。理由は今更言うまでもないであろう。あのウイルスだ。なんとくだらない。

 

1年前の自分ならこの知らせを聞いて圧倒的虚無感に襲われていたに違いない。しかし嬉しいことなのか悲しいことなのか、今の自分は大して何も思わなかった。もちろん開催されたら出たかったし、もう一度原点に立ち返った自分の将棋を全世界に発信していきたかった。

 

それでも虚無を感じずに済んだのは麻雀に魂を売ってしまっていたからである。将棋ができないなら麻雀をすれば良いのに。マリーアントワネット的な発想である。

 

とはいえこの期に及んで大会中止の仕打ちを食らった次の日の夜、なかなか寝付けずにいたら急に“将棋なんてくだらないんだよ”とか思い始めた。いきなり冒頭からこんな過激なこと言ってるので、ちょっと有名な人間なら炎上しかねない。しかし安心して欲しい。自分は20年以上生きてきたのに一度も炎上はおろかバズりもしたことのない人間だ。どうせこの記事だってほとんど誰の目にも触れることなく死んでいくんだ。それでもここまで読んだ人には最後まで読んでもらえればと思い、本能のままに筆を進めていく。

 

将棋なんてくだらない、理由は大きく分けて2つ。1つは割と客観的で、もう一つはかなり個人的になってしまう。別にお前のことなんかどうでも良いと思っている人にも前者の部分だけでも読んでもらいたい。

 

前者の客観的な理由は、オリンピックが開催できるというのに、それよりもはるかに規模が小さく、どうせ誰も注目してないような大会すら中止になるような将棋ってこの世の中では超くだらないものなんだなあ、ということである。別にここでオリンピックの開催の是非を問いたい訳ではない。もちろん自分も含めて各々がいろいろな考えを持っていることだろうが、それは今どうでも良い。大会の中止という歴然とした事実が、将棋はオリンピックなんかよりもくだらないということを表している、ただそれだけのことである。

 

それでも将棋なんてくだらないとか言ってたら特に最近のブームで将棋界隈に参入してきた人達からものすごい反発を食らいそうだ。そういう人達の気持ちも分かる。自分が麻雀やり始めたのと全く同じようなことだ。

 

でも冷静に考えて欲しい。今のブームで盛り上がっているのはあくまで“プロ”の将棋界隈だけではないだろうか。自分を含め、将棋を必死にやっている、あるいはやってきたけどプロではない人間の居場所はもうないのだろうか。大会中止という事実を前にそう感じざるを得ない。

 

もっと言えば、大会は将棋に人生をかけたとかそういうこととは関係なく、純粋に将棋という競技を楽しもうとしている人間の居場所でもある。もちろん最近は大会以外にも将棋の多様な楽しみ方があって、それで将棋界隈が盛り上がるのは悪いことではないが、何かと今の将棋界隈に思うところがあるのは自分だけだろうか。

 

もちろん今回の件では誰も悪くないし、中止になったのもやむを得ないのかもしれない。それでもこの状況を前にして1選手として思う、将棋なんてくだらないんだよ。

 

なんかここで一旦話がまとまってしまったし、個人的な話書き出すとまた長くなりそうだし、お前の話こそくだらないんだよと言われそうだし、今意外に時間が無いので前編はここまでにして、後編で個人的な思いを書かせてもらおうかなと思っている。