anyadraの日常

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オカルト

あけましておめでとうございます。anyadraです。本年もよろしくお付き合いください。とはいっても全く年が変わった実感がないんですけどね。

 

だいぶ更新サボってたけど、早速新年一発目の日記書いていこうかな。

 

早速ですが、皆さん今年をいかがお過ごしでしょうか。世間は緊急事態宣言とか言ってるけどみんなそれぞれの思いを抱えながら今年最初の月を過ごしていることでしょう。

 

私事ですが、今月結婚することになりました!とかそんな嬉しい話があるはずもなく、今月は天鳳絶賛負けまくってますわ。

 

去年の終わりには長期的に見て成績もそこそこ安定してきて、いよいよ上(まずは六段)目指していけるかなーとか思ってたら突然地獄モード引きましたわ。

 

一度ハマるとラス引きまくって連対すらできなくなるのが自分の至らぬところなのだが、その弱点を見事に露呈して降段してしまった。降段後も勢いは止まらず負け続け、最近ようやく持ち直してきたなと思ったらまた地獄モードにハマってしまって今に至っている。

 

どうしたらこの沼を抜けられるのか、それが分かってたら今頃六段にはなってるよ…と思いつつ自分なりに分析したり新しい知識を取り入れたりしながらやってるので、少なくとも1ヶ月前の自分よりは強いという自信はいつも持っている。

 

しかし自分も当然分かっていることだが、麻雀は運ゲーだ。必ずしも強い=勝てるではないのだ。ミスしまくってもトップとれるし、ミスしなくてもラス引くんだ。

 

もちろんこんなところで躓いてるお前はまだまだ弱い、そんなことは分かってるし、今後もずっと勉強だ。

 

ただ最近気になることがある、何でも“デジタル”がもてはやされすぎていないだろうか?

 

よく“デジタル”の対極に置かれがちな“オカルト”は本当に間違っているのだろうか?

 

確かに“デジタル”な選択をしていくのが期待値最大なのかもしれないし、実際自分も麻雀の勉強は実戦でパッと期待値最大の選択ができるようになることを目的としてやっているつもりだ。(とはいえ未だに凡ミスをよくやるのが自分の悪いところ、改善点だが)

 

これは自分の専門である将棋でもそうだ。将棋で言う“デジタル”とは人間より圧倒的に強いソフトの示す評価値が最も良い選択をすることだ。実際最初から最後までソフト通り指せれば人間との対局において負けることはないであろう。

 

これに対してオカルトではあえてデジタル的な“最善手”を選ばない。これはデジタルの目からは長期的に見て明らかに損をしている選択だとみなされる。

 

しかしここまでの話は“デジタル”が本当に真理であること、さらに人間がデジタル通りの行動を遂行できるという前提があって成立するものであるが、果たしてこの前提は真か?

 

もちろん偽であろう。確かにデジタルは現時点で分かっている期待値最大の選択を示しているかもしれないが、今はデジタル自体が日々進歩している段階である。これは今オカルトとみなされているものの中に真の意味での“デジタル”が眠っている可能性を示唆している。

 

麻雀のような不完全情報ゲームの話になるとだいぶ複雑になってしまうし、自分の専門外なのでここからは完全情報ゲームである将棋の話に限定させてもらうが、人間がデジタル通りの行動を遂行できるという前提は明らかに偽である。

 

そもそも仮に真であったならば、将棋自体が競技として成立しなくなってしまう。

 

さらに将棋の場合、その特性として最後に致命的なミスを犯した方が負けるので、デジタルに難解かつ最善の道を進んでも必ずしも勝率が上がることに繋がるわけではないことに留意せねばならない。

 

もちろん近年の将棋ソフトの進歩は目覚ましく、デジタルに対応できないと簡単に不利になったり負けたりすることがあるので、実力向上の目的では将棋ソフトの活用はもはや必須である。

 

ただ最後に勝負を決めるのはオカルトの部分になってくるのではないだろうか。特に人間同士の時間の切迫した終盤戦では頻繁にオカルトがデジタルに通用してしまう。だから逆転が起こるのであり、競技としての面白さがそこにあるのだ。

 

ここまでオカルトとデジタルを対立軸において考察して来たが、そもそも“デジタル”自体が最善であるという保証はどこにもない。その意味で“デジタル”はオカルトの一種であるというのが自分の結論だ。

 

最後に、自分は決してデジタルを否定しているわけではない。自分は将棋や麻雀の勉強においてデジタルとは切っても切り離せないような関係にあるし、実力向上の観点からはデジタルはむしろ有用であると思っている。

 

しかし勝負の世界では相手は全てオカルトだ。どんなオカルトが来ても打ち勝てるような強いオカルトを自分の中に作り上げていくことこそが勝負の世界で勝っていくために必要なのではないだろうか。

 

もちろんオカルトを築き上げる上ではデジタルによって気付き上げられた強固な土台、つまり基礎的な実力が必須である。これなしでオカルトに走っても積み上げたものは脆く土台から崩れ去ってしまう危険がある。

 

自分も基礎を固めるにはある程度時間がかかってしまうものだということを再確認した上で将棋、麻雀、その他諸々において成長していければと思っている。

 

まずは自分もたとえ結果が出ずに気持ちが折れそうになったとしても粘り強く数をこなしていくことを意識して日々頑張っていきたい。次の記事を書くまでに何かしらの成長ができていれば良いなと思っている。

 

今将棋か何かで伸び悩みを感じている人にはこの記事が少しでも参考になれば幸いである。