anyadraの日常

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人生なんて、所詮は運ゲー

最近この日記を書く意欲も全く無かったのだが、ふとメールを開くと某氏のはてなブログが超久しぶりに更新されたという通知が来ていた。俺も負けるわけにはいかないとか思ったわけではないのだが、なんか急に書きたくなったので書いているに過ぎない。

 

というわけで、今回の内容は、タイトルの通りだ。いきなりだが、質問だ。“人生なんて、所詮は運ゲー”、この言葉を聞いてどう思うだろうか?

 

少し過激な言い方をするが、この言葉は明らかに間違っていると思ってしまった人間は人生の本質が何たるかを全く分かっていない。人生のあらゆる場面で運の要素が少なからず介在していることに疑いの余地はなく、人間はこのことにもっと自覚的になるべきである。

 

では次の質問。人生は運ゲーだが、果たして何もしなくても勝てるのか?

 

いや当然負けるだろと思った人間は何かを勘違いしているのかもしれない。人生、何もしなければ運ゲーに参加することすらできないのだ。そして気付かないうちに少しずつ搾取され、気付けば取り返しのつかないことになっていることもある。

 

もちろん運ゲーに参加できたとしても自分が負けていることにすら気付けなければそれは参加していないに等しい。これも恐ろしい事態を招いてしまうかもしれない。

 

ここまで読むと、人生に絶望しかねないが、救いもある。それは生きる限り無数の運ゲーに参加することができる一方であえて負ける前に運ゲーに参加しないという選択もでき、力の配分を自由に決められることである。

 

ただ、悲しいことに、運ゲーは生まれた瞬間から始まっており、物心ついた頃には既に大きな差がついている。それでも人間はこれまでの運ゲーによって得られた手持ちの能力をどう伸ばすか、そしてそれをどう生かすかを考えながらより良い結果を得られるように必死にもがき続けるしかないのだ。

 

残念ながら大半の人間は大半の運ゲーに勝てない。それでも人生、1個でも勝機のありそうなゲームを見つけてそこである程度の勝利をつかめれば御の字ではないかと思うし、そのゲームを探す時間は生きる限り与えられている。ここでのある程度の勝利とは自分にとって納得のできる結果を得るということである。

 

だから今まで自分は負け続けてきた、もう勝てないと思っても、そこでゲームオーバーにはならない。本当のゲームオーバーは、結果に絶望し、何のゲームにも参加しなくなってしまったその時である。

 

いろいろ書き殴った我が身のこれまでの人生を振り返ると、自分は誰に何と言われようと自分の直感を信じてやってきた。4歳か5歳くらいの時には既に今から勉強していけば確かに東大にはいけるだろうけどそれでは人生うまくいかない、だから何か誰にも負けない圧倒的な武器を得なければいけないとかいう我ながら全くかわいくない思想を持っていた。

 

そんな中、小学生の時に将棋というジャンルの運ゲーに出会い、これを極めれば周りの誰もやっていないから勝てるのではないかと確信し、この運ゲーに大半の力を注いでいった。

 

しかし現実は甘くなかった。強くなるにつれ、大半の人間よりはうまくやっているという確信は持てたが、それでももっと将棋に捧げている人間や能力も運も自分より圧倒的に優れている人間(藤井聡太現二冠など)がいることに気付き、将棋が自分にとってどんどん過酷な運ゲーになっていった。

 

確かにもう少し勉強とか他の運ゲーの分まで将棋に捧げていれば、将棋という世界ではもっと結果も出せただろうが人生という大局的な運ゲーの視点で見て今より良い結果を出せたかは分からない。

 

しかしプロになれたら成功と考えれば、もっと強気に勝負した方が良かったのではないか、明らかに自分は押し引きを間違えたな(引き過ぎだった)と今は考えている。少なくとも、強気に勝負していればあのウイルスの出現という不運のせいで何もできなくなり、落ちぶれていくという最悪の事態を避けることは可能であっただろう。まあ人生は所詮運ゲーである以上、こういった理不尽に思える事象であっても受け入れざるを得ないのだが。

 

もう過去は変えられないので、過去を全て捨てて新たなスタイルで勝負していくしかない。もちろん変化していくのは言うは易く行うは難しではあるが。

 

また将棋で引き過ぎた一方で勉強の方には全く力を注げていなかったのに能力を過信して強気過ぎる押しをしてしまったのが自分が受験に一度失敗した最大の要因だったと思っている。それでも1年を犠牲に戦い方を1から見直せば勝てると判断し、最終的にはなんとか受験という運ゲーでは自分の納得のいく結果を出せて良かった。

 

今は今後の人生という運ゲーをどう戦っていくか、腰を据えて戦略を立てている段階だと思っている。いろいろ思うことはあれど現実は学生生活の中でいろいろなものに出会えてそこそこ幸運であると今は思えているので、今後もやれることをしっかりやった上で結果は所詮運だと開き直れる精神で長く過酷な人生という運ゲーをやっていきたい。

 

よく考えたら自分は作家になりたいとは思わなかったが昔から文章を書くのが好きで、こうして自由に記事が書けるのも幸運なことなのかもしれない。自分に発信の機会が与えられていることに感謝しつつ、一旦筆を置き、また気の赴くままに筆を進められればと思う。